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ヴァロットンの『ボール』

執筆者の写真: 文昭 有賀文昭 有賀

ヴァロットンは近年日本の美術ファンの間でも人気が出てきましたが、19世紀~20世紀初頭の画家です。一見普通に見えて、なんか奇妙な感じが残る絵を描いているんですよね。僕も大好きな画家の一人です。


画像はウィキペディアより

これはおそらく最もよく知られた一枚。1899年に描かれた『ボール』という作品です。

強い日差し、女の子の服装からしても夏ごろでしょうか。女の子のポーズがいまいち、なにをしているところなのかよくわからないんですよね。ヴァロットンの絵の奇妙な感じというのはこういうところですね。


河か湖か(草原のようにも見えます)を挟んで離れた場所に大人の女性らしき人物が二人、描かれています。手前の岸辺からするととても距離を感じます。画面は女の子のいる場所と二人の女性のいる場所、それぞれを明暗によってバックリ分割・分離して、あちらとこちらの違いが強調されていますね。いちいちパースを引いて確かめなくとも分かるくらいに、それぞれが異なる遠近法で描かれてもいます。それがこの距離感、まさに「距離のある」感じになっているのでしょう。


女の子と二人の女性は、親子でしょうか、何らかの関係がありそうです。そう感じさせるように描かれています。たとえば、河だか湖だかのタッチは岸辺の形態を反復するようにしながら向こう岸の二人の女性のいる場所へと連続しており、それと画面上半分を覆うような樹木のシルエットは女の子と二人の女性の関係を線で誘導するように強調しています。


この河だか湖だか池だか草原だかよくわからないところが、なんか不穏なんですよね。意図的に曖昧にしてると思います。


日差しの方向に注目すると、画面の左下に樹影が見えますが、この樹影を落としている木がどこにあるのか、少なくとも画面の中には描かれていないことがわかります。これも奇妙な影です。一見、画面右上の樹木の影のようにも見えるんですけどね。


以上がこの絵が与える奇妙な感じ、いわば「ミステリー」ともとれる箇所です。で、ここからは僕の解釈です。(既に知られている解釈とはちょっとした違いがあります。)


まず、この女の子のポーズは、赤いボールを追っかけて遊んでいるようには見えません。腰を落としてます。赤いボールを勢いよく遠くに放り投げているように見えます。

左下の樹影はまるで女の子を呑み込むかのよう。遠くに見える女性は女の子の母親と、おそらくは教育係なのかもしれません。いずれにせよ青い服の女性はうつむき加減で、二人は対等な会話を楽しんでいるというよりも、一方が他方を諭しているかに見えます。

ここまで見てきたような作品の構成から判ずるに、女の子はおそらく、「赤いボール」をこの「母親」によるなんらかの圧力から逃れさせようとしているのではないでしょうか。(ボールの行き先には「秘密の抜け穴」のようなものすら見えます。)河だか湖だか草原だかが曖昧な不穏なタッチは、この「親子」の関係を暗示しているように思えます。この部分と左下の樹影は明度として連続しており、女の子に何かが迫ってきている、忍び寄ってきている感じがします。今にも呑み込まれそうです。左下の樹影のなかに、ほとんど存在感を失ったかのような儚さで別のボールが描かれていますが、こちらはすでに“呑み込まれてしまった”のかもしれません。そう見えます。


・・・・・・なんか、すごい絵ですよね・・・。これは希望を描いた絵なのでしょうか、絶望を描いた絵なのでしょうか・・・。

どっちもですかね。作品のタイトルは、『ボール』です・・・。

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